「満州」の成立 を読んで

満州」の成立 森林の消尽と近代空間の形成 --安富歩、深尾葉子 編 --名古屋大学出版会

 この本は複数の論文、論考に手をいれて構成された満州近代史を経済の側面にあてて描きだしたものだ。過去の一次資料を基に分析、構成された二次資料ではあるが、近代中国東北部、そして現在につながる過去の中国農村社会を知る資料としてお勧めできる一冊である。

 まず、G.W.スキナーによる中国農村の市場・社会構造の研究がある。この研究は四川省で20世紀半ばごろに行われたフィールドワークによるものだが、これによると中国の農村の経済活動は、かなり乱暴かつ不正確にイメージだけで総括すればいくつかの村から人の集まる町の定期市、その定期市で集まった商品を持ち寄る都市の定期市と緻密なネットワーク構造になっていて、定期市の開催形態も神様をまつった廟のお祭り(廟会)などがある。ところが、満州についてはどうもそうではないらしい。定期市は行われていてもさかんではないところが多く、廟会も馬車を持てるくらい、あるいは鉄道を利用できるくらい裕福な農民、市民のお楽しみ会、それこそ日本の縁日のようなものであった。
 満州の住民の大多数はもともとそこにいた女真ではなく華北山東からの出稼ぎ色の強い農民である。なぜスキナーの研究のような緻密なネットワークが生まれなかったのか?
 スキナーの定期市モデルが生まれる背景には、農民が自分の作物を長距離輸送する手段をもたないという点がある。日本の農家でも農協におおいにたよるところがあるのと同様である。ところが、当時の満州の商品作物は大豆であり、これは日本ばかりかシベリア鉄道を通って欧州にまで運ばれている。この大豆を収穫納品する時期は冬で、地面が凍結しているためにどこもかしこも舗装道路状態で、大車とよばれているほろつき馬車でかなりの長距離輸送が可能になっていた。収穫した大豆を満州の農民はきまった行商人ではなく、都市(県城)の商人に直に売りにいくのである。輸出品であることを考えれば合理的であり、中間搾取が減る分、買う側も売る側ももうかる話だ。ここで収穫担保にした貸し付けなどが発生するところは規模の大小に関係はなく起こっている。
 取引が発生する以上、支払うものが必要だが、これは特定の雑貨商人の店で使える商品券で払ったりされたらしい。ほかに銀や納税を担保にで県城の有力者が発行する地域通貨があり、このほうが有力な通貨となっている。結果として、県城は広範な範囲を経済的に掌握することになる。
そして県城にあつまった大豆は駅から鉄道で輸送され、積み出し港から日本や華南へ、あるいはシベリア鉄道で欧州へと輸出されていく。
 キーとなるのは鉄道と馬車(大車)であり、これを大豆が流通することによって華北とは違った集権制の高い経済ネットワークができたということである。
 これらをささえたものはなにか、それはかつて満州の地にあったうっそうとした森林と西のモンゴル族である。
 鉄道で使う枕木や燃料としての薪を、そして馬車の材料を森が提供し、馬車につなぐ馬をモンゴル族が提供する。馬車の材料となるのは針葉樹を伐採した後に残る硬い広葉樹である。硬い木は重すぎていかだにして流せない。そのため地元で使う馬車の材料として普及に大いに貢献したというわけだ。貧農には無理だが、中農であれば買える値段であったらしい。貧農もがんばって開墾して農地を広げれば大車を買える分限になれるかも知れない。幸い空き地は西にもあるし森だった切り株だらけの土地にもある。
 しかし、満州の森林は何百年、いやもっと昔からあったものであるし、満州での大豆の栽培は明の時代にもあった。ではなぜ近代になって急速に展開したか。一つは無論鉄道の存在だが、鉄道で樹齢数百年の大木を運ぶのはコストが悪すぎるため、大車の普及ができるほど伐採はすすまない。
 満州の森の伐採が進んだ理由は大雑把にいって三つ。
 技術的な理由は輸送手段の改革。かつては非常に大きないかだを組んで流していたため、季節の水量次第で河口にいたるまで一年かかることもあったが、日本の森林業者がからむようになってからは、日本の河川で形成された小さないかだを組んで水量にあまり影響されることなく一定ペースで常時輸送できるようになったこと。
 政治的には清朝の権威低下と崩壊にともない、かつては女真族の生活をささえる狩猟や山貨(朝鮮人参など)であった森林にかかっていた保護が撤廃されていったこと。
 経済的にはもともと満州の森林資源が十分な価値のあるものであったこと。
 かくして著者の言葉によれば二十世紀前半最大の環境破壊の一つが発生したということになる。大規模な伐採の後に残った広葉樹林も馬車の普及によって姿を消し、畑となり、森の消滅とともに近代満州が生まれた。
 以上は本書の内容を逆順にしかも大雑把すぎる総括で書き出したものである。細かい点では間違いや不正確なものがおおいが雰囲気だけつかんで興味があれば読んでみてほしい。

 さて、ここからは面白いと思ったことを余談的に書き出し、妄想を少し足す。完全なおまけである。
 ・華北と違って影響力は県城に集中していた
  →県城を把握すればその一体を掌握できる。
  →地域通貨の流通がさかんなところはゲリラも多い。
  →張作霖の政権は県城を掌握し、地域通貨を自分たちの通貨に置き換えて影響力を強くしていった。(営口でその一帯でも信用の高い通貨を出していた商店の倒産に乗じた経済のっとりの陰謀→再建させず接収させるあたりはノンフィクションとはいえない緊張のある話)
  →このノウハウを継承発展させたのが満州国であり、傀儡といわれながらも決して無能な政府ではなかった。
  →同じ手が通じると思った日本は華北で抗日ゲリラに悩まされ続けることになった
 【妄想】械闘といわれる中国農民の争いは、1村VS1村というより共闘関係のある村集団と村集団の対立があるそうだが、これはつまりスキナーの定期市ネットワーク同士の対立じゃないだろうか。
 【妄想】中国を画一的に判断すると痛い目にあう。満州のような地域性は程度に差異はあろうがあったのだろうと思われる。形を決めるのは経済の大きな流れとインフラであるから、格差は今ではさらに大きくなっているのではなかろうか。
 ・毛皮需要により、モンゴルにすむ繁殖力の強いげっ歯類タルバンガの狩猟がさかんになったが、にわか猟師が多かったため、もともとげっ歯類の病気であるペストにかかるものが絶えなかった。おかげで近代満州は常時どこかでペストが流行していたそうだ。731部隊ももともとペストを研究していた。