漢文化 中華文明についての偏見

 李白の目は蒼かったという。
 真偽はともかく、これは漢民族の本質を示してはいないだろうか?
 中華の文化を奉じ、中華に傾倒、帰属するのが漢民族。ローマが市民権をもって蛮族を受け入れ、ローマ化していったように漢民族もその文化文明に蛮族を取り込んで漢化していった。イスラム帝国もまた然り。イスラム教徒であることによる優遇と、そしてローマとペルシャの文化文明の恩恵に強制することなく人々を自発的に取り込んでいったのだ。
 取り込まれた人々は洗脳されたわけでもなく、自分たちのもっているよい伝統と、新しく受け入れたものを適者選択して新しい文化を作っていく。今、われわれが中国の伝統的なものと思っているものの多くは孔子あたりが見たらほとんど蛮族の風であろう。
いま、ウィグルで起きていること、チベットで起きていることを見ると、もはやあの漢民族、ダイナミックな歴史と魅力的な悪党英雄跋扈のあの国と同じ国とは思えない。足りない自信を暴力と差別で満たしていたどこかの軍国主義国家のようだ。大人といえる人物はどうやらいまは絶滅したようだ。実につまらない人物ばかりが悪目立ちしている。
 つまるところ、ご主人面している彼らは自分たちが支配している人たちより大して上等でもないことを認めないだけで自覚しているのだろう。誇れるもののない者はアグレッシブになりがちだ。民度が低いといわれるが、管仲の言葉のように衣食(物的なもの以外もこの際含めよう)たりず礼節にかまける余裕がないだけなのだろう。
 いまは、清の国辱支配、そしてアヘン戦争義和団で受けた傷から漢民族を再建している途上であるといえよう。日本も猿真似といわれながら今を築いた。国家が舵をあやまたねば、中華もいずれ文華の国として再生できるかも知れない。しかしそこまでの道のりは国家が大きく、公害などの同じ過ちをたどっていくなら日本より遠く長い道のりが必要かも知れない。しかしイスラムやローマのように制度政治ではなく文化文明による真の大国は人々のダイナミズムが失われない限り回復のめどはある。イスラムはおそらく大変な流血を伴う宗教改革がなければ時間をかけてただ消えていくのみであろう。
 以下、中国への諫言として中華三原則を提唱しよう。
 中国は攻撃的で脅威であってはいけない。中国は豊かで気前がよくならなければならない。そして中国は人を育てなければならない。

 今は先祖がえりした蛮族たちが漢民族にもどろうとあがいている最中である。
 漢民族などいない。